経験を通じて学ぶ「未来の描き方」 -自分の大切にしている生き方とは?- 開催報告

2018年9月2日 開催
経験を通じて学ぶ「未来の描き方」 -自分の大切にしている生き方とは?-
司会:関本深雪

1.がんを発見、そのとき考えたこと
2.乳房再建について
3.今思う、自分の「生き方」または「大切にしたいこと」とは?
4.乳がんを経験して未来の描き方で変わったことは?
5.質疑応答
   ―周囲の人に乳がんと打ち明けられたとき、どういう距離感で接すれば良いのでしょうか?
   ―世の中に貢献をしようと思う原動力は何でしょうか?
   ―養子を実際に迎えられて、想像と違っていたことはありますか?
   ―クリエイティブな仕事をする上で、がんを経験して変化はありましたか?
   ―悔いのない人生を生きるにはどうすれば良いのでしょうか?
6.最後にメッセージをお願いします

1.がんを発見、そのとき考えたこと


溝口 綾子さん(一般社団法人KSHSキチンと手術・ホンネで再建の会 代表理事)

溝口綾子さん(以下、溝口さん):
私は、2007年、45歳のときに乳がんが発覚しました。そのときは、しこりが5cmになっていました。
発覚する3年くらい前から、しこりがあることには気付いていたんですが、まさかそれが、がんじゃないだろうと思っていました。初期のがんのしこりは別に痛くないので痛みもないですし、元気なんです。ただ、だんだんしこりが大きくなっていくのが分かるんです。
しこりが少しずつ大きくなっていたんですけど、本当にがんだったら怖いという気持ちもあって見ないふりをして検診にも行かなかったんですね。45歳くらいのときに団体検診を受けて、そのときに本当は黄色信号だったんですが、自分ではまだ青色だから大丈夫だと勝手に判断して、半年間くらい検診にも行きませんでした。
そして半年後に市の検診を受けたときに、がんだと分かりました。
市の検診で、視触診の先生が、すぐに眉間にシワを寄せて「すぐにこの患者さんのマンモグラフィを持ってきて」と言って外科に行って組織検査を受けることになりました。そのときは「なんで私外科に行くの?婦人科じゃないの?」と思っていました。基本的に子宮がん系は婦人科で、乳がんは外科や乳腺外科なんですが、そのときは乳がんが婦人科ではなく外科ということも知らなかったんです。
そして、最初の検査結果で先生から、私はステージⅡBだと言われました。ステージⅡはリンパにも転移がある状態で、先生には「全身に飛んでいたらⅣ期だからね」と言われました。そのとき私はステージ*が何期まであるかも分からない無知な状態で、『たしかⅤ期くらいまであったはずだから、まだ末期じゃないのかな?』なんて思いながら調べたらⅣ期までしかなくて焦ったという状態でした。結果、私の場合は幸いにも全身には転移していないことが分かり、ⅡBということでした。
確か北斗晶さんもがんを発見したときはⅡBだったそうです。けっこうこの時期に発見される方が多いようです。こういう用語を知っていると、いざ自分ががんになってしまったときもしっかり対応できると思います。
*がんのステージ分類


資料:国立がん研究センターがん情報サービスより
治療については、術前化学療法(6か月)、右乳房皮下乳腺全摘、リンパ節郭清、ホルモン療法(5年)と、一通り行いました。私の場合は、まずは抗がん剤治療をしてしこりを小さくしてから手術をしようということで、まずは6か月間抗がん剤を打ちました。私の場合はこの抗がん剤が効いてしこりが小さくなった後、右胸を全摘し、また『リンパ節郭清』と言って、リンパの一部をとりました。手術後は5年間ホルモン療法をしました。この頃は5年間が標準治療と言われていましたが、今は10年が標準治療のようです。その後は再発せず現在に至ります。


山吹 祥子さん

山吹祥子さん(以下、山吹さん):
私は、2009年から2014年にかけてロンドンとパリに住んでいたので、それまでほとんど検診を受けていなかったんですね。その前に子宮がんを経験していたので、そこばかりに気をとられていました。日本に帰ってきたのが2014年です。しこりに気が付いたのは帰国してまだ1週間くらいのときでした。
最初、乳首の裏側に何か違うものがあるなと発見して、その足で即病院に行って、即、精密検査を受けました。結果、肺に転移して、リンパにも5箇所くらい転移していることが分かりました。ステージⅣという状態でした。
ステージⅣで臓器に転移していると、体力が落ちてしまうということもあって、手術はできないんです。なので、今もがんはそのまま右乳房にあり、投薬で保っている状態です。お手元のレモンの図で言うと下の段の右から3番目くらいのイメージが近いかと思うんですが、胸の形も変形して、乳首が中に入り込んでしまっています。薬が効かなくなると、「花咲乳がん」と言ってがんが表面まで出てくるので、昨年放射線治療をして、今はかさぶたのような状態になって胸に残っています。

 


※写真中央にレモンの図があります。

私は初発(再発ではない最初の発見)で肺に転移していたことが分かり、気持ちの上で受け入れるまでには1年くらいかかりました。「もう自分は死んでしまうんだな」と思ったときに、とにかく情報を集めよう、と思って情報を調べました。そうしたところ、インターネットでKSHSさんにヒットしました。そして参加させていただいたのが2014年の2月です。そこでたくさんの有効な情報を与えていただいて、いろいろな先生がいらっしゃるんだということも知りました。
その上で私は、どんな治療があるのか、どんな治療ができるのかについてとにかくセカンドオピニオンをたくさん受けました。というのは、最初に診断された病院では、発覚後すぐに肺の手術、抗がん剤治療をしましょうと言われたんですね。でも、私の今の体の状態で、手術で肺を切り刻まれてなおかつ抗がん剤を与えられるとなると、即死んでしまうなと直感的に思いました。なので、何か別の方法がないかと思って探していたところ、私の今の状態であれば、ホルモン治療で緩やかに延命した方がいいと言ってくださる先生に出会いました。それが自分にフィットしたんですね。それから大きい病院に行ってホルモン治療をやってくださる医師を根気強く探しました。
だから、みなさんがんになっても慌てないでください。がんは即死ぬわけではないから、情報を集め、フィットする医師を選ぶことが何よりも大切なことだと思います。本当に慌てずに、フィーリングが合う医師を見つけることが大事です。
私は昨年亡くなった小林真央さんと同じような状況で、いつ死んでもおかしくはないんですが、自分で道を選ぶことによって、今もこんな風に元気に生きて仕事もやっています。その理由は、やはり死を一旦受け入れて、死に向かうまでのビジョンを明確にしたからだと思います。私はジュエリーデザイナーの仕事を30年近くやっていますから、自分の仕事で皆さんを励ましたり笑顔にして、自分の人生の幕を閉じたい。そうしたことで自分が何か皆さんの力になれたらいいなと思っています。ステージⅣであっても、選択を間違えなければしっかり生きていけるということを知っておいていただければと思います。


下川 美佳さん

下川美佳さん(以下、下川さん):
私は2011年、43歳のときに左胸にがんが見つかりステージⅠの浸潤がんと診断され、左乳房皮下乳腺全摘と、手術と同時に乳房再建することを選びました。その後、「オンコタイプDX」という検査を受けて、抗がん剤治療をしてもしなくても治療後の延命率が変わらないタイプのがんだということが分かりましたので、抗がん剤治療はしないという選択をしました。この検査は保険がきかないので、当時で50万円くらいかかりました。また、当時アメリカに住んでいた姉に聞いて、遺伝性乳がんであるかどうかの検査も受け、陰性と診断されました。この検査も保険がきかないため、当時で50万円くらいかかりましたが、判断材料が多い方が良いと思って検査を受けました。
そして、放射線治療もなく、現在はホルモン療法を続けています。薬は10年間服用ということであと数年続ける予定です。
私は、それまでは、子供を持つとか、子供を産むということをあまり考えたことがありませんでした。ですが、がんと診断されたときに、漠然と『この先、子供を持ったりすることはないということなのかな』と思いました。
その後、がん治療中に今の夫と出会い、「家庭を作りたい」「子育てをしたい」という共通の思いが芽生えました。ただ、そのときに掘り下げて考えてみると、私は「妊娠して子供を産みたい」という訳ではなく「子供を育てて、家庭を作りたい」という思いが本質だということに辿り着きました。そこで、特別養子縁組*という制度を利用して、2人の子供を新生児のときに迎えました。
* 特別養子縁組…民法によって認められた養子縁組制度。原則として子供が6歳未満の場合に限り家庭裁判所の許可によって認められる。養子は戸籍上養親の子となり実親らとの親族関係がなくなる点で普通養子縁組と異なる。

特別養子縁組については、もともと夫が建築関係の仕事をしていて、児童養護施設の設計の仕事にも携わっていたことから、世の中に、実の親が育てられる環境にないところに生まれた子供たちがたくさんいることを知っていました。なので、養子を迎えようという選択肢が自然と浮かびました。私自身、血の繋がりということにも強いこだわりがなかったので、「そういう制度があるなら利用すればいいじゃん」というくらいの気持ちで、重く考えずに養子を迎えています。
今は、毎朝定期的に薬を飲んで、定期的に病院に通うということを続けているので、これが私のスタンダードな生活なのかなと思って過ごしています。

 

2.乳房再建について


溝口さん

溝口さん:
乳房の再建については、乳がんの手術の半年後、インプラントの「二次1期再建」を行い、1回の手術で乳房を再建することができました。
乳がんの手術で失われた胸を取り戻す手術を「乳房再建」といいます。再建する方法は大きく2つあります。一つは、インプラントという人工物を入れる方法。もう一つは、自分の脂肪や筋肉を使う方法(自家再建)ですが、当時、自家再建の場合は保険がきいたんですが、インプラントの場合は保険がききませんでした*。
*2013年から、一部インプラント手術が健康保険の適用対象となりました。
自分自身が、一度片胸がないという状況を経験して再建するかを考えたときに、もともと貧乳でしたし、なくてもいいかな、とも思ったんです。お医者さんの中でも「命が助かったんだからおっぱいはいらないでしょ」という考え方をする人が少なくなく、全摘した後、乳房再建までする人は当時1割もいませんでした。そういった時代だったんです。インプラントは保険がきかないから治療費もかかります。そして、自家再建については、乳がんの手術で胸を切った後に、自分の体の他のところにさらに傷を付けて負担をかけるということに抵抗があり、なおかつ乳がんの期間よりも入院期間がすごく長いんですね。そうした中で、初めはもう一歩を踏み出す勇気がなかったんです。
でもやっぱり、胸がないよりはあった方がいいだろうとは思っていました。そして、乳がんの切除手術から半年間は再建手術ができなかったんですが、半年経ったらできるよと言われたときに、「できるものをやらない」ということが、自分の中でとても後ろ向きに感じました。
そんなときに、先に再建をした先輩方と出会い、すごく背中を押していただきました。その方たち皆さんがすごく笑顔で前向きだったんですね。その姿を見たときに、「再建せねばならない」と思いました。それで、翌年インプラントによる乳房再建手術に踏み切りました。

 

乳がんで失った右胸のインプラントの手術をして、ご褒美として左胸の方も、「合わせるために仕方なく…」と公には言っておりますが(笑)、少し貧乳だったのを右胸に揃えて標準程度にしていただきました。
胸がないときは、なくても別にいいと思っていましたが、やっぱりふと着替えるときや鏡を見たときに、少し喪失感がありました。そして、ない胸を見るたびに、がんだったということを嫌でも思い出してしまう。自分だけではなく、周りにもそう思わせてしまうということが大きいと思いました。
そして、再建をして、元どおりとまではいきませんが、理想通りの素敵な胸をもらえたことによって、すごく前向きになれました。
そこで感じたのは、乳がん治療というのは、乳がんをとって終わりではなく、なくなった胸を作るまでが治療だということです。もちろん、人によっては胸を作ることをしないという決断をする方もいますので、必ず作らなければならないということではありませんが、そこまで考えること、再建をするかしないかを決断することが大事で、そこまで含めて本当の乳がんの治療といえるんじゃないかなと思いました。
*2013年より、インプラント手術も保険適用対象となりました。
乳がんは本当に治療法もいっぱいありますので、セカンドオピニオンが重要だと思います。また、医師とは一生の付き合いになりますので、一生付き合える医師をよく選んでください。一生ですので、最初はいいなと思っても、合わなくなることもあります。先生に会うこと自体が苦痛になると、そのストレスが原因で病気になってしまいかねないので、「先生に会うのが待ち遠しいわ」と思える先生に出会えるといいと思います。
そして、周りのみなさんを見ていて、楽しく生きること、笑顔で生きることがいちばんの再発防止だと感じますので、もし周りで悩んでいる方がいたら、一人で悩まずそれを分かち合っていただいて、泣けるようなことも笑顔に変えていけば、きっと良い方向に進むんじゃないかと思います。

 

3.今思う、自分の「生き方」または「大切にしたいこと」とは?

溝口さん:
がんを経験していちばん強く感じたのは、明日が必ずあるのではないと分かったということです。今を大切に生きる、そして起こることに感謝し、できるだけ笑顔で生きるようにしています。
そして、やはり必要とされることがいちばん大切なのかなと思いました。なので、何かお誘いがあったときにできるだけ断らず、まめに出向くようにしています。がんを経験して、先送りにしないことが必要だと強く思いました。先送りにしたときにその先がないかもしれない。ある意味貪欲に生きること、そうすると何かが起こる気がします。

山吹さん:
私は末期のがんで一年先のことはわからないので、先送りにしないということについは切実な問題です。がんを発見して、最初はパニックになりました。ですが、自分はこの先何のために生きていくのかと掘り下げて考えてきたときに、「自分はやりきることができた、後悔せずに生きてこられた」と思いました。そう確信したときに、初めて死を受け入れることができました。
私には19歳の娘がいます。彼女はイギリスに住んでいるので会いたくても会えませんが、会えるときは本当に嬉しくて抱きしめています。私はまだ若い彼女に対して、乳がんのことをしっかり教えるとともに、女性の先輩として人生について教えられることはすべて教えています。私が死んだときにも、しっかりと受け入れて生きていきなさいと教えている最中です。
だから、皆さんも健康なときから後悔しないように、今やりたいことがあったらすぐに行動してください。命がいつまで続くか分からない立場としてはそう伝えたいと思います。

下川さん:
お二人と同じで、毎日同じ平穏な日々が明日も来るとは限らないということを強く感じています。なので、後回し、先延ばしにせず、やりたいことは思ったらすぐに行動に移してどんどんやっていった方が良い、ということを日々実感しています。

4.乳がんを経験して未来の描き方で変わったことは?

溝口さん:
がんを経験して、命に限りがあることがわかったということが最大の気付きです。私が45歳の時点で10年先の将来を思い描いたとき、将来像をいろいろ想像しましたが、10年後の自分が死んでいるという選択肢はありませんでした。ですが、がんを経験して10年後に死んでいるかもしれないという選択肢ができたことによって、時間には限りがあって、こうして語り合っていること自体が幸せなことなんだな、と噛み締めています。なので、やりたいと思ったことや、何かオファーがあったときは少し無理をしてでもチャレンジしてみるようにしています。
あとは、人の気持ちというのは、体験してみないと分からないということをしみじみと感じています。体験者だからこそ分かることがあります。病気になったからといって偉いということではありませんが、なってみないと分からないことはあるので、無理に理解しなければいけないということではないと思います。乳がんになっても一人一人違います。

山吹さん:
私は、幸せの数の方を数えていこう、ということをいつも考えています。今日もこんなことがあった、今日も夕日が綺麗だった、という些細な感動を数えています。
今年、2014年(発覚)の同期の仲間が3人も旅立って行きました。それを体験したとき、残る身の方が辛いと思いました。だから、私は、祥子さんらしく旅立ったね、と家族にも言ってもらえるように爽やかに旅立ちたいと思っています。
私は、外では元気な『着ぐるみ』を着ていますが、体は辛いです。限られた時間だから、好きな人と好きなように過ごそうと思っています。苦手な人に無理に合わせていくのもやめました。自分を最高の状態に置こうと思っています。

下川さん:
私は、健康なときは未来をこうしようとか計画せず、漫然と明日は同じ日がくると思っていました。ですが、病気になってからは優先順位を決めて、やりたいことは周りにも伝えておくことで、自分がやりたいことができるような環境に置いています。

 

5.質疑応答
周囲の人に乳がんと打ち明けられたとき、どういう距離感で接すれば良いのでしょうか?
溝口さん:
日本人が一生のうちにがんにかかる確率は2人に1人と言われています。そして、乳がんにかかる確率は、11人に1人と言われています。例えば電車に乗ったら、座席シートのうち1人は乳がん経験者がいるということです。だから、乳がんを経験したことがない人が思っているよりも、隠れ乳がんの人はいっぱいいます。
最近では一泊や日帰り治療もありますし、抗がん剤を使わなければ見た目はほとんど変わりません。今日、講演を聴きにきている人の中でも、どの人が乳がんなのか見た目だけではほとんど区別がつかないと思います。あえて隠すつもりはなくても、年末年始のお休みで治療を済ませて、言うタイミングをなくしてしまったといったことも多いと思います。
乳がんというと、メディアなどでは死がクローズアップされているので死のイメージが先行していますが、今は、乳がんになっても基本的には死にません*。私たちががんと聞くと「何のがん?今どのステージ?」と聞いて、普通に接しています。がんと聞いただけで、変に気を使われたり、よそよそしくされたり、腫れ物に触るような態度で接されるということがいちばん辛いと思います。
「がんになっても死ねないよ」と私はがんになった仲間に言っています。がんになった後の人生の方が長いんです。そして、がんを経験した人は普通の人よりもバイタリティがあると思っています。
とは言うものの、優しくされたいときはそう言うのでそのときは、よしよしとしていただきたいです(笑)。
* 乳がんの5年相対生存率(あるがんと診断された人のうち5年後に生存している人の割合が、日本人全体で5年後に生存している人の割合に比べてどのくらい低いかを示した指標)は91.1%といわれています。

資料:国立がん研究センターがん情報サービスより

山吹さん:
私が困ったのは、がんと言ったときに、よく分からないサプリメントや宗教、前世…などエビデンスのないものを無理に押し付けてくる人たちです。宗教を否定する意図は全くありませんが、一度断っても無理に勧めてくる人もいます。不確かな情報を伝えられることは、病気を抱えているのに、さらに対応しなければならないストレスもたまります。
そういったことよりは「何か美味しいものを食べに行こうよ!」などと明るく見守ってくれる方がありがたいです。

下川さん:
私自身は、幸いにもこれまで、がんということを打ち明けてそこまで衝撃的に受け止められたことはありません。休みをとるため職場にも病気のことを伝えましたが、普通に接してもらえたので、その後も病院に行きますと言いやすかったりします。患者の方も、相手が驚かないようにどうやって伝えればいいのかな、と気を遣ったりしているものです。

世の中に貢献をしようと思う原動力は何でしょうか?

溝口さん:
乳がんの手術の経験を経て、2009年に一般社団法人KSHSを立ち上げました。KSHSは、きちんと(K)手術(S)・ホンネで(H)再建(S)の頭文字をとりました。特に乳房再建に強い会と言われ、情報提供やネットワーク作りのほか、再建について悩む方の背中を押してあげたりするなどの様々な活動を行っています。
初めから崇高な志があって始めたわけではなく、ナグモクリニックで乳房再建の手術を受けたとき、写真を病院のモデルに使いたいと言ってくれたことから南雲吉則先生と会話をするようになったんです。そうした中で、医療従事者と患者が交流して、本音で話し合えたらいいよね、といったディスカッションをする中で、こういう会を始めることになりました。そして、皆さんの必要とするものを集めていったら、大きくなったという感じです。
人と人との繋がり、世の中ってそういうものだと思うんです。乳がんをきっかけとして、そういう人や機会に出会えたというのはとても幸せなことだと思います。
私は乳がんになっていろんなものをいただきました。「キャンサーギフト*」という言葉を皆さんご存知かと思います。皆さんと出会えたこと、こうしてお話をしていることもキャンサーギフトだと思います。私は、乳がんになってからの方がいい人生を送らせていただいています。
*キャンサーギフト:がんからの贈り物。がんを経験したからこそ得られるもの。
ただ、それも自分が生きているからです。先ほどお伝えしたように、乳がんで死ぬ方はすごく少ない。でも、全く死なないわけではなくて、死ぬ方が年間1万人くらいいます。だから、怖がらずに、検診を受けていただきたいと思います。発見が早いほど、いろんな治療方法が選択できます。もしがんが発覚したとしても、正しい情報を得て、強く生きて欲しいと思います。

参加者からの質問の様子

養子を実際に迎えられて、想像と違っていたことはありますか?
下川さん:
想像と違っていたことというのは、実の子であろうと養子であろうと、子供を育てるという行為自体に変わりはないんじゃないかということです。
子供が泣いていたら抱き上げて、ミルクをあげてということを繰り返しやっているうちに、子供を育てるということに血の繋がりは関係がなく、子供が泣いているから、お腹が空いているから世話をしてあげるという、単純なことだったんだなと気づきました。
クリエイティブな仕事をする上で、がんを経験して変化はありましたか?
山吹さん:
病気になる前は「収益を伸ばそう」「知名度を上げていこう」という気持ちでやってきましたが、病気をしてからは「こういう風にしたら喜んでくれるかな?」「こういうのをつけたら女性はもっときれいになれるかな?」「こういうのを見たらもっと笑顔になってくれるかな?」と考えるように変わっていきました。
今はお金ではなく、全ての人が笑顔で生きられるように、生きた証を残しておこうと思います。自分の分身がずっと生き残っていくような、そんなデザインを作っていきたいなと思っています。

参加者からの質問の様子

悔いのない人生を生きるにはどうすれば良いのでしょうか?

山吹さん:
私は、昔から突拍子のない行動をとると言われていました。40歳になってからロンドンに行ったんですが、夫を日本に置いていきました。夫を置いていくなんて、世間では、「え?」と言われるかもしれませんが、世間体を気にせずとにかくやりたいことをやってきて、それを理解してくれる夫にも恵まれていました。自分がピンときたこと、あれをやってみたい、ということは全部やってきました。
ロンドンに行って苦労をしたおかげで、人としての幅ができたこともあります。日本のぬるま湯につかっているとホワーンとしてきます。海外だと戦場もありますし、治安も悪いです。主張していかなければならないので、どんどん勝ち取る癖がついてきました。
決断をしたら即行動、を続けてきたことが今に繋がってきたと思います。

6.最後に、メッセージをお願いします

溝口さん:
まずは自分の胸を触って確かめるセルフチェックの習慣をつけてほしいと思います。また、高濃度乳房など自分の乳房はどういう体質かを知る方法*もあります。こうした最先端の情報を知ってほしいと思います。
*『日本経済新聞』2017年7月13日「乳がん見逃すリスク「高濃度乳房」知って 厚労省、通知体制を整備」
NPO法人乳がん画像診断ネットワーク「マンモグラフィ検査の向かない方へのアナウンス」

それから、乳がんになった後のことですが、輝く女性でいたいということから、2015年から「キャンサーギフトコレクション」というイベントを開催しています。乳がんを経験した女性がモデルになって、ランウェイを歩くイベントです。ランウェイを歩くことって、女性の憧れじゃないかと思います。自分もこの歳になってファッションモデルのようなことをやるとは思いませんでしたが、プロにヘアメイクをしてもらい、背筋を伸ばして歩き、みんなに拍手してもらってスポットライトを浴びるという経験は、けっこう癖になります(笑)。これはがんになった人だけの特典です。いつかキャンコレの舞台に立つ!ということを頑張る目標にしてもらいたいと思いますので、周りの方にも教えてあげていただければと思います。
乳がんになっても、うろたえる必要はありません。仲間もいっぱいいます。まずは正しい情報をきちんと得て、自分がどういう道に進んだらいいのかをしっかり考えて、自分で選択して歩んでいただけたらと思います。
山吹さん:
乳がんになったら即死ぬ訳ではなく、自分の気の持ちようによって如何ようにも生きていけます。病は気からというのは、まさにその通りだと思います。まだまだやれることがいっぱいあります。乳がんにとらわれずに、私は私として生きていきたいと思います。”Keep Calm and Carry On”「―落ち着いて、くじけずに戦い続けよー」という言葉をいつも胸において過ごしています。
皆さんにも、遅かれ早かれいつか死は訪れます。今日を境に、死に対するビジョンを何となく考えてみるということがあっても良いと思います。
私は一期一会というものを大事にしています。今日、皆さまのお目にかかれて本当に良かったです。
下川さん:
がんになったからできなかったことがある、というよりも、がんになったからこそできることがある、と思います。考え方次第だなと思います。

<おわりに>
参加者の皆様からは、「登壇者の皆さんが前向きで、人生を切り開いている姿が本当に素敵で、同じように自分の力で切り開いていきたいと思いました」、「日々を真剣に生きていて、またとても力強くて女性らしさを感じました」、「元気な皆さんの姿を見てがんサバイバーのイメージが変わりました」といった感想をいただきました。
今回は、このようにがんサバイバーの方のご登壇を主催する機会をいただき、がんになったときに皆さんが考えたことや治療法、生き方について多くのことを知ることができました。特に登壇者の皆さんががんの経験を経て、やりたいことを明確にし、前向きに取り組んでいく姿勢には感銘を受けました。がんというと、死に近い特別なイメージが先行しています。しかし、必ずしもそうではなく、がんの早期発見のためきちんと検診等に向き合うことや、もしがんが発覚しても落ち着いて対応することが何よりも大事である、ということを学びました。こうした情報は多くの女性に広く知ってもらいたいと思いました。
今回は、一般社団法人KSHS様および登壇者の皆様のご協力の下、素晴らしい会を開催できたことに深く感謝しております。本当にありがとうございました。


登壇者の皆さん(中央)と、YourCue代表 豊島久美子(左)・同副代表 関本深雪(右)

【よろしければ】
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